昨年の今頃は何をして、何を思っていたのやら?
そう思って、このカタルをさかのぼってみたら、
八月酷暑の時期に、年に一度の健診を受けることについて、
ぶつくさ言っていた。
ええ。
今年もつい先日、受診しました。
さんざん、ぶつくさ言いました。
無事にバリウムものみました。
本当に暑い日が続いています。
先月石巻に行ったころは、台風のあと、
奇跡的に涼しかったので、助かりました。
あの三日間について、
何でもいいから書こうという気持ちと、
どうにも書きようがないという気持ちと、
です。
圧倒的に、後者が強いです。
民家の和室に、寝袋で眠りにつく時に感じた「…夏休みみたい」
という、なんとも間抜けで不謹慎な、
でも、正直な感覚。
避難所になっている小学校の外周の側溝の泥をさらい、
油分を含み黒く光るヘドロの付着した服を、
なんとなく満足げに見ている自分、とか。
トイレを借りに足を踏み入れた、その避難所である体育館のなか、
パーテーションとして立てられた段ボールばかりが見えて、
そこにいるはずの人の姿を、実際にはついに見なかったこと、とか。
石巻から女川まで、地元の方の案内で、
甚大な被害を受けた地域を見て回ったとき、
色々説明してくださる地元の方よりも大きな声で、
これもあれもYouTubeで見られる、
あのビルのあの線まで津波が来たと講釈する同乗者の、
知識で頭いっぱい、な顔とか。
朝六時前の宮城県内陸部の、青々とした土地の平和な空気、とか。
そこで缶コーヒー片手に煙草を吸い、
「旅」を思い出したり、とか。
ボランティア元年と言われた阪神淡路大震災以前の、
奥尻島の津波災害時から、
現地に入ってはボランティア活動をしてきたという年配のベテラン男性は、
「自分のやっていることが目に見えるって、いいだろう?」と、
初めての経験をしている私たちに、
励まし、のように言ってくれました。
とてもいい人でした。
一行のなかで、一番親しみを感じ、
あれよあれよと私になつかれてしまったおじさん。
そう。
おじさん、私も普段からそう思っている。
自分のやったこと(成果)がすぐに見える具体的なことは、
とってもいい。
掃除とか片付けとか洗濯とか、ね。
たまっていたヘドロが無くなった、とか。
持って行った野菜を配って全部無くなった、とか、ね。
とってもいい。
私に、いい。
私によくて、相手にもいいなら、
そりゃもう万歳だね。
おじさん、励ましてくれて本当にありがとう。
でも。おじさん。
私は、見たもの、見えたものより、
見なかったもの、見えなかったものが、
より重く身体に残っているように思います。
あの仕切りの段ボールのあちら側にいた人たち。
仮設住宅の中にひっそりと横たわる誰か。
これからどんどん、見えにくくなる。
見えないものは、存在しない、と同義になりやすい。
目に見えることもやりながら、
見えていないものの気配を探り続ける。
難しい、難しいこと。
それを、けわしい顔をせずに、
出来ることなら呑気に見えるくらいの顔付きで、
やっていけたらいいなー
って、
思ってます。
来年の夏も、
去年の八月は何をしていたかと、
これを読み直すかな…?
posted by ミナル at 19:31|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
日記
|

|